播磨の国の腰痛地蔵
宍粟の腰痛地蔵
昔むかし、葛根村(現在の山崎町葛根)に一人の老人がおったという。
老人はひどい腰の痛みに悩まされ、来る日も来る日も家人に背中を踏ませておったが、一向に良くならぬ。ついには身動きできなくなり、寝たきりになってしまった。
死期を悟った老人は、枕元に家族を集めてこんな遺言を残したそうな。
「私が死んだら、お地蔵様を作っておくれ。
うんと平たく丈夫なやつを。
それを田んぼの中に流れる小川に渡して、橋にしておくれ。
そうすれば、きっと橋を渡った人たちの腰痛を、お地蔵さまが治してくれるから。」
老人が息を引き取った後、家族は遺言通りに平たい地蔵を作り、小川にかけて渡れるようにしたのであった。すると不思議なことに、この橋を渡った人は皆が皆、腰の痛みがすっきり落ちたそうな。
「ありがたや、ありがたや。
野良仕事がうんと楽になった。」
村人たちは老人の地蔵を「腰痛地蔵」と呼び、大変ありがたがった。
「こんなに徳の高いお地蔵様を踏みつけるなんて、もったいない。
起こして、ちゃんとおまつりし差し上げた方がよいのではなかろうか。」
村人たちは、さっそく腰痛地蔵を引き起こし、道端におまつりすることにしたそうな。
ところがこれまた不思議なことに、たちまち村中のものが腰痛に苦しみ出した。
「きっと、お地蔵さまは橋として皆に踏まれることを望んでおられるのだな。
これは申し訳ないことをした。」
腰痛地蔵は元の小川に再びかけられ、橋としてかけられるようになったという。
それ以来、葛根の里にある小さな石橋を真新しいワラジで踏んで渡り、そのあと誰もそのワラジが使えないように鼻緒を切っておくとたちまち腰痛がなくなってしまうという言い伝えが残ったそうな。
平成になって小川は改修され、橋としての役目を終えた腰痛地蔵は近くのお堂に移された。
お堂の周りには、寄進された白いのぼり旗がずらりと並ぶ。
今も、腰痛に悩む人のお参りが絶えないのだという。
(参考)しそう観光協会のホームぺージ
腰痛地蔵は兵庫県の南東部、宍粟市にある。中国自動車道山崎ICから車で約20分。
田畑の中に建つ、立派なお堂が目印だ。
地元の人にも愛され、毎年桜の季節になると『葛根腰痛地蔵尊花祭り』が開催される。
菜の花と桜の色合いが美しい。
いでんと橋のお地蔵さん
昔むかし、いでんと(現在の小野市)と呼ばれるところに、働き者の老婆がおったそうな。
老婆の家の近くには、小川を挟んで粗末なお地蔵さまが佇んでおった。
子供もなく、たった一人で暮らしていた老婆は、お地蔵様をお参りし、世話をすることが日課だったそうな。
ある日、いつものようにお地蔵様をお参りした老婆は、突然激しい腰痛に襲われて、渡ってきた小川を乗り越えることができなくなってしまった。
身動きできず、老婆は困り果てていた。
「私が渡してあげましょう」
突然、後ろから声がした。
振り返ってみると、声の主はいつも世話をしているお地蔵様だった。
お地蔵さまはゆっくり歩き出し、小川に横たわって橋になってしまったという。
さあ、お渡んなさい、とお地蔵様は促した。
「お地蔵様を踏みつけるなんて、めっそうもない。」
まじめな老婆が、かたくなに拒むと、
「実は、私も立ちっぱなしで、腰が疲れてしまったのです。
どうか、渡るついでに腰を踏んでいってください。」
それならば、と老婆は草履を脱ぎ、恐る恐るお地蔵様の背中を踏み、さぞやお疲れでしょうと腰をさすって差し上げた。
すると不思議なことに、老婆の腰痛がきれいさっぱりなくなってしまったのだ。
老婆は橋になった地蔵に大変感謝し、次の日もお参りに訪れた。
しかし、お地蔵さまはその日以来、橋になったまま元に戻ることはなかったのだそうな。
その後、老婆はありがたい話として、会う人会う人に橋になったお地蔵様のご利益を語り続けた。徳の高い地蔵の話は、いつしか踏むと腰痛にご利益のある「橋の地蔵さん」として広く知られるようになった。
今でも「橋の地蔵さん」は小野市の側溝に裏返しにされたまま残されている。
(参考)小野市行政サイト
橋のお地蔵さんは兵庫県南西部、小野市にある。
JR加古川線河合西駅から加古川を渡ってほど近いところにある、田畑の中にぽつんと佇む案内碑が目印だ。
用水路にかかるいびつな形の岩が「橋の地蔵さん」そのもの。
見えているのは背面で、横から覗くと顔を拝むことができる。
奇妙な共通点。二つの説話は同源か
腰痛にまつわる地蔵が兵庫県旧播磨の国に二尊もあるだけでも興味深いことだが、奇妙なことにその内容も非常によく似通っている。
二つの説話は、ともに小川(灌漑用の用水路:播磨の国は昔から雨が少なく、至る所にため池や用水路がある)にかかる石橋と化した地蔵の背面を踏むと腰痛が治るというものだ。
同じ話がもとになっているのではないかと思ったが、証拠になる地蔵は二か所それぞれに現存している。
では河童や鬼の伝説ように、全国各地にありふれたお話なのだろうか?
調べてみると、奈良県にも腰痛地蔵(こしいたじぞう)なるものがある。
こちらも腰痛にご利益がある地蔵だが、この地蔵にまつわる説話は、腰痛に悩む老人がお告げに従って畑の中から掘り出したというもの。小川にかかる石橋地蔵とは明らかに性質が異なる。
ほかにめぼしい説話は見当たらず、どうやら播磨の国に限られた話らしい。
葛根の腰痛地蔵は、弘法大使も踏んで祈願したという逸話があることから、説話の起源は相当古い。仏教伝来間もない頃にできたのではないかということがうかがえる。
そもそも、文化の面からみると橋には集落の中と外との境界、あの世とこの世の境界など、「境界」を区切るものという性質がある。
さらに地蔵は、この世あの世両方を守護する存在、境界の守護者として、村の入り口や橋のたもと、下などに安置されることが多い。
「小川の石橋地蔵」は、境界への意識が非常に強い存在なのだ。
播磨の国は平安時代以前から優れた陰陽師集団がいたとされている。(おそらく瀬戸内海気候で晴天率が高く、星の観測が容易であったためであろう)高名な安倍晴明もまた、播磨守に任命されている。陰陽道では隠と陽、つまり結界や境界を重んじる。
また、大和政権明瞭期までさかのぼると、播磨の国周辺は畿内の大和勢力と中国の大国吉備道の間に挟まれ、境界の意識が高かったのではないかと推察できる。実際、加古川が2国の境界だった時期もあり、5世紀には新羅と結託した吉備道が周辺で何度も反乱を起こしている。
これは専門家でもなんでもないど素人の見解だが、こうした境界の意識が、小川にかかる地蔵の石橋として具現化しているのではないだろうか。無事、村まで帰ってくることができた、という安堵の気持ちが、腰痛の緩和として表出しているのではないかと私は感じる。
地元を訪れれば何か新しい発見があるかもしれない。
腰痛解消祈願がてら、播磨の国をぶらりと旅をしてみるのもいいかもしれない。
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